自分でホームページの作成にチャレンジ していました。
特に会社設立 に対してどのように説明をしようかと思いを
巡らしていると、ふいに2011年の1月に他界した父のことを思い出した。

恥ずかしい話だが私と父は何を話しても
かみ合わない、いはゆる反りが合わない親子だった。

今から20年ほど前になるのだろうか、・・・
バブルもはじけ坂元塗装店(父の会社)が売上不振で傾き始めたころ、
このままでは駄目だと考え、不動産会社・工務店に飛び込みで仕事を取りにかかった。

職人として育った私は、飛び込み営業など
初めての試みで不安であったが、「捨てる神あれば拾う神あり」と
以外にも話を聞いてくれた何軒かの会社が取引をしてくれるようになった。

自分にかかるプレッシャーや
この先どうなるか分からない恐怖心をかき消すように死に物狂いで働き
どうにか形になり、そろそろ法人にした方が良いと廻りからアドバイスを
頂いたころ、父の知り合いから坂元塗装店の二代目と呼ばれた事に違和感を覚えた。

父の知り合いも悪気があったわけでは無い。
また、流れから考えても二代目と呼ばれる事は当然であるが
得意先の開拓や私の育てた職人達で成り立っている今の状況を
考えると、当時は創業者のような気持ちだった。・・・

気がする・・・

結果、地元でも知る人が多かったが知名度など気にせず
坂元塗装店を閉めて、「雑草でもスポットが当たるような仕事をする !」
そんな決意で平成14年に有限会社 グラスサラを立ち上げた。

私にとって会社を立ち上げる事は
勢いのある話だが….父にとっては悲しい出来事だったはずだ。・・・

今思えば、坂元塗装店を閉める必要はなかった気がするが、
そのころは、どうしても自分の思いとして二代目と呼ばれる事が
複雑であり、・・・受け入れる事が出来なかった。

などと・・・

ホームページを作成しながら当時の事を思い出していると、
晩年は 苦労させられたが父は決して道楽でも いい加減な人でも無い事に気がつく。

さらに、葬儀が終わった後の話だが・・・

父の遺品から、グラスサラの
求人募集を切り取り 何枚も大事に持ってる事を知った。
反りが合わなないと考えていたのは

どうやら私だけだと・・・はじめて理解する。

親の心、子知らずとは こういう事を言うのであろう。・・・
聞いた話だが、「亡くなった人の事は 嫌なことは忘れ、良い思い出だけが残る」と聞く。

出来る事なら….. 出来る事なら….
そうなって欲しい….そうなって欲しいと心から願う 

親不孝な息子の独り言。….(_ _。)